「思い邪なし」

 この本は、京セラ創業者稲盛和夫氏の「稲盛伝」の最新版である。

 稲盛和夫氏と言えば、松下幸之助に続く経営の神様とも言われる人だ。私も、経営者の端くれであったり、経営者の学びの集いで事務局長のお役をしている関係で、稲盛和夫氏の著作は、ある程度読んでいる。

 出張先で、知人がこの本を書棚に置いてあるのを見つけ、貸していただいた。手にした本のページをめくった時、知人が多くの付箋を貼っていることを眼にし、「これは、読む価値があるな」と思ったのである。彼は、「付箋は、剥がしていいですよ」と言ったが、「そんな勿体ない」と思った。だって、彼の考えが付箋で示されているのだから、彼を知る良い機会だと思ったのである。

 私は、良く、「あなたの本棚を見てみたい」とお願いする癖がある。私の考えでは、その本棚には、その人の人生や考えていることが、並べて展示していると思っているからだ。その人の話を聞くより、本棚の本を見れば一瞬にして分かるのである。ある意味、本の並べ方ひとつで、その人のキュレーション力が分かる気がしている。

 さて、この本のタイトルが、「思い邪なし」とある。これは、江戸時代の西郷隆盛が仕えた薩摩藩きっての名君島津斉彬が座右の銘としていたのが、この言葉である。「思無邪」。鹿児島の人間なら誰しもが知っている言葉である。

 稲盛和夫氏は、もちろん、鹿児島生まれである。その彼が、生まれてから今日のJAL再生を成功させたまでの人生を、この本は見事に描き切っている。「生き方」を含め、さまざまな稲盛和夫氏の著書は読んだが、北康利氏が書いた本は、一貫したテーマで語られている。「動機善なりや、私心なかりしか」。一生懸命働くということは、この精神に凝縮されていることを稲盛和夫氏は、生涯をかけて実証しているのだ。

 働くということは人間にとって、もっと深淵かつ崇高で、大きな価値と意味をもった行為です。労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという効果がある。単に生きる糧を得るという目的だけではなく、そのような副次的な機能があるのです。ですから、日々の仕事を精魂込めて一生懸命に行っていくことがもっとも大切で、それこそが、魂を磨き、心を高めるための尊い「修行」になるのです。

稲盛和夫著「生き方」

 彼の成功は、彼に言わせれば単純なことだ。人間として正しいかどうかを判断基準と思い定め、利他の心を胸に、ひたすらど真剣に生きてきた結果に過ぎない。

「ともすれば人間は、自己中心的な発想に基づいた行動をしたり、つい謙虚さを忘れ、尊大な態度をとったりしてしまう。また、他人に対して、嫉妬心や恨みを抱いてしまうこともある。しかし、このような邪な心では、正しい判断はできない。『自分にとって』都合のよい判断ではなく、『人間にとって』普遍的に正しい判断を、私たちは心がけるべきなのである」

稲盛和夫著「人生と経営」

仕事で大成功を収め、地位や名声、財産を獲得したとします。人はそれを見て、「なんと素晴らしい人生だろう」とうらやむことでしょう。ところが実は、それさえも天が与えた厳しい「試練」なのです。成功した結果、地位に驕り、名声に酔い、財に溺れ、努力を怠るようになっていくのか、それとも成功を糧に、さらに気高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていくかのかによって、その後の人生は天と地ほどに変わってしますのです。つまり、天は、成功という「試練」を人に与えることのよって、その人を試しているのです。

稲盛和夫著『「成功」と「失敗」の法則』

 稲盛和夫氏の近くで12年間仕事を共にしてきた千本倖生氏は、自著「ブロードバンド革命の道」で記している。

精神主義だけでは戦に勝てない。稲盛式経営の神髄は、徹底した経営管理にある。経営管理するためには、どういうシステムをつくるかを徹底して追及する。いわば、きちんと兵器を整備する。いわば、きちんと兵器を整備する。その上での精神主義なのである。

  書いても書いても語りつくせない稲盛和夫氏の生き方。彼は、経済社会の世で、「利他のこころ」が一番大切であることを生涯をかけて実証している人だ。一歩でも実践したいと感じさせる「本」である。「思い邪なし」。