「仏教経済学」

「暗い学問ー経済学ーに光明をあてる」とある。しかし、経済学は、暗い学問には驚いた。何とか、明るい学問にしなければと思う。キリスト教にもイスラム教、そして、ユダヤ教における経済学、つまり、金を扱うという商売は、世界の歴史の中で、その宗教の勃興に伴い、さまざまな影を落としていることは事実であると思う。

 だから、仏教に、その救いを見出しているのかもしれない。

 だから、仏教徒は、もっと社会課題解決のために、仏教らしくはないが、鬨の声を上げるべきだと考える。

 あるサイトの書評で、この本を紹介した。担当の編集者が手直しを入れてくれてUPされたが、私の書いた素の原稿を紹介したい、

 この本は、現世界の環境破壊や資源の枯渇、貧困問題の根源ともいわれている「自由市場経済学」に対して、より良い世界を作り出すために、個人の生活と経済を作り変える道標を提供しようとする「仏教経済学」の視点からまとめられている。

 「仏教経済学」と言えば、E・F・シューマッハが「スモール イズ ビーティフル:人間中心の経済学」で、初めて使用した用語である。

 シューマッハは、物質財貨への執着よりも、個人の資質の開発と人間解放を重んじるシステムの必要性を説き、「仏教経済学」が目指すところは、「最小の消費で最大の幸福を得ること」としている。この本が出版されたのは、1973年のことである。

 今、世界は、どのようになっているのだろうか?。世界の多くの人々は、世界の現状を目の前にして、未来に希望を持てないでいるのではないだろうか。

 限りない欲望の前に、跪くしかない人間の弱さに打ちひしがれているのかもしれない。

 この本では、仏教経済学に取り組み、実践するには、勇気が必要だと語る。生活を変える勇気、環境を護る勇気、正義を貫く勇気、喜びとともに生きる勇気である。

 金銭欲にかられた長時間労働と出世競争に決別する勇気、他人を助け、心満たされた生活をする勇気、単調な繰り返しの生活を離れ、人生を楽しむ勇気が必要である

 国のレベルでは、環境を保護し炭素排出量を減らす経済、成長を所得の増加ではなく幸せの改善と定義する経済。そういう経済に必要な基礎整備を、政府に要求する勇気が必要であると導く。そして、すべての種と将来世代に代わって、私たち自身が行動する政治的意思と勇気が必要だとし、仏教経済学には終わりはなく、それは一生の関わり合いであり、歩みだと結論付ける。

 訳者の村瀬哲司氏は、「あとがき」で、明治時代の実業家渋沢栄一の「論語と算盤」の「仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」という考えを挙げている。

 「仏教経済学」は、さまざまな社会課題に対して、その根底となる課題提起をしていると考えている。

仏教経済学 暗い学問ー経済学ーに光明をあてる