「上杉鷹山の空」

 山形県米沢市には、何回も訪ねたことがあったが、ようやく上杉神社に足を運ぶことができた。「上杉鷹山」公之像の前に立つと、自然と合掌し、頭を垂れている自分がいた。この日は、私が事務局長として携わっている経営者の地域セミナー。コロナ禍中、久しぶりの対面式開催に出席するために米沢を訪れていたのである。その会場の隣が上杉神社だった。

 ありがたい。不思議な縁を感じる。

 九州は宮崎県高鍋市の資料館で、初めて上杉鷹山を知った。もう、30年以上の前のことと記憶している。その時、米沢藩の財政再建を果たした名君と知ったが、その資料館で心に残ったのは、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領の言葉である。「日本で最も尊敬する政治家は誰ですか」の記者の質問に、「上杉鷹山です」と答えているのだ。それが、妙にこころに残った。

 上杉鷹山公と言えば、当時、日本一貧乏とも言われた米沢藩を立て直しした物語は、経営の勉強に携わった人間なら、誰も知っていると言われるほどの人物である。

なせば成る なさねば成らぬ 何事も

成らぬは人の なさぬなりけり 

上杉鷹山公詠

 私は、竜門冬二の「小説 上杉鷹山」を読んだが、いつの時代も、過去の成功体験や格式にこだわり、今、まさに藩が潰れようとしているのに、変化を拒む輩はいるものだ、と思った。しかし、上杉鷹山の凄いところは、藩全体を変えるために、まず、一人ひとりの意識改革に取り組み、自らも、その先頭に立って実践したことである。

 今、口では国を変える、会社を、組織を改革するということを言う輩は一杯いるが、自分の意識や生活を変えるといった人は、どれだけいるだろうか?政治家には見当たらない。組織の長という人間は、こころしなければいけないことだと考える。

 1981年、第二次臨時行政調査会会長に就任して「行政改革」を断行した土光敏夫さんは、その質素な生活から、「メザシの土光さん」と言われた。その土光さんの行政改革の手腕は、「行政改革の鬼」とも言わせ、「三公社(国鉄・専売公社・電電公社)」の民営化を打ち出し、先頭に立って断行したのである。当時の人々は、その土光さんの生活のありようと「増税なき財政再建」を実行する姿に、リーダーの理想像を見たのである。こうした人が、今は、いない。残念である。

 しかし、国民一人ひとりも、政党を変えたり、総理大臣を変えても、何も変わらいことに気が付かなくてはいけないと思っている。変えるべきは、国民一人一人の意識である。そのためにも、上杉鷹山が江戸から米沢藩に入る際の、峠の茶屋での話がある。

 鷹山が、自分の前にある火鉢の炭を一生懸命に吹いている姿を、共の家来が見かけ、「よい火をお持ちしましょう」と申し上げると、鷹山は「今はよい。すばらしい教訓を学んでいるところだ。それは後で言おう」と、答えました。

 その晩、行列が泊まった宿で、鷹山は共の家来を集めて、その学んだ新しい、貴重な教訓を説明しました。

 「この目で、わが民の悲惨を目撃して絶望におそわれたとき、目の前の小さな炭火が、今にも消えようとしているのに気づいた。大事にしてそれを取り上げ、そっと辛抱強く、息を吹きかけると、実に嬉しいことには、よみがえらすことに成功した。”同じ方法で、わが治める土地と民とをようみがえらせるのは不可能だろうか” そう思うと希望が湧き上がってきたのである」 

「代表的日本人」内村鑑三