「リーダーシップの旅」

 この「旅」というタイトル文字に惹かれた。テラ・ルネッサンスの鬼丸昌也さんの、FBでの最近のつぶやきを眼にして、即、手にした。「当り」であった。

社長になろうと思って社長になった人はいても、リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。はじめからフォロワーがいるわけではなく、「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。

リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、だれかから教わるものでもない。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中で発見するものだ。

リーダーシップはだれの前にも広がっている。

何かを見たいという気持ちがあれば、可能性は無限に膨らむ。自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。

「リーダーシップの旅」

 久しぶりに、ISIS編集学校の無料プログラムに参加した。私が、まだ経験したことのない「目次読書ワークシップ(共読online#3」である。事前に、当日、紹介する本のタイトル等を提出するのだが、最初に登録したのは、桐村理沙さんの『腸と森の「土」を育てる』だった。しかし、その後に読んだ「リーダーシップの旅」に変更していただいて、当日を迎えた。

 その「目次読書ワークショップ」で教わったポイントに真似て本を紹介したいと思う。「しゅ・は・り・よ・し」という順序・構造で人に伝える編集方法だ。何故か、初めてこの説明を受けた時、「さすがISIS編集学校守・破・離できたか」と感心させられた。

 簡単に説明すると、『「しゅ」は、「テーマ」』、『「は」は、「背景」』、『「り」は、「理由」』、『「よ」は、「あなたの読み方・見かた」』、そして、最後の『「し」は、「紹介」』というわけだ。

 僕は、そのメソッドに沿って、皆さんに「本」の説明をした。紹介ではなく「説明する」ことがポイントだと思った。「紹介」は出来ても「説明」ができないのが、今の私たちの実態だと思う。その一部分を簡単に紹介する。私自身の、良い編集稽古になるに違いないと思っている。

 「私は、今まで、さまざまなリーダー論を読んできたが、この本は、本当の私が求めていたものが描かれている。私が、この本から選んだキーワードは3つある。1つは「アルケミス」。これは、自分の夢が、何時かは、自分の歩き出す障害になるということを物語った小説のタイトルである。2つ目は、「イデオシンクラシークレジット」。これは「信用の蓄積」という考え方だ。そして、最後の3つ目は、「サーバントリーダー」というワードである。これは、「奉仕型リーダー」ということである。対のワードに、「エマージェントリーダー」がある。「危機管理型リーダー」を意味している。

 私たちが、常に触れるリーダーのイメージには、「夢を持つことが大事だ」とか、「リーダと言うものは信用が大事だ」、そして、リーダーに必要なのは、「危機の時に皆を引っ張ってくれる人がリーダー」というものがある。しかし、それは、本当なのか。実は、私たちは幻想に囚われているのではないだろか。私たちが信じているリーダー論に対して「問を発し」そして、「実証」していく。この本は、その「実証」の順序・構造が、理論的と共に心情に語りかけてくる内容となっているのだ。

 この本では、私の好きなジョーゼフ・キャンベルの「千の顔をもつ英雄」を引用しながら、リーダーは、「未来を創る人であり、その未来を同じくみる人々がフォロワーとなり、その時、リーダーとなる」と語る。そして、その歩みを「旅」と捉えている。もちろん、物語構成の基本である「旅立ち・試練・帰還」の旅である。私は、ここが好きだ。脚本家として大学時代の学びの時を過ごし、その後、イベントや映像制作、そして、CIやICTのプロデューサーやデレクターを生業としてきた自分にとって、人生は「旅」であり、宇宙が誕生して以来、たったひとつしかない「物語」を、私自身が創りあげているのであると信じている。その視点に立てば、ひとり一人が「リーダー」であり、そのフォロワーの数は問題はないのであると感じている。自分の成したことへの責任があるだけだ。何故なら、自分の「人生の物語」を脚本しているのは、自分だからである。

 リーダーとはの比喩に、面白譬えを持って描かれている。

ナメクジが這った後に残る白い線こそ、そもそもキャリアの語源に関わる。キャリアとは、「たった一回限りの自分の人生を運ぶもの」という意味で、馬車や車と同言語源であり、馬車が去っていったあとの轍がキャリアにほかならない。また、轍は振り返ったらついている過去という意味で大切なのではなく、その足取りを見てこそ、これからどう歩むべきか、違う旅にそろそろ向かうべきかどうかを垣間見られる点で大切なのである。つまり、轍とは、将来を展望するためのもである。

第三章 「旅の一歩を阻むもの」より

  私の「旅の物語」は、まだまだ続く。私が脚本を学んでいた時は、「伏線」の描き方にこだわっていた。今もそうだ。「伏線」があるからこそ人生は楽しいのである。この本に出合ったのも「伏線」に違いない。私の「旅の物語」のエンディングを、お楽しみに。章はめくられたのである。私は、この本を二人の親友にプレゼントさせていただいた。