「アイコンシャス・バイアス」マネージメント

 今朝、令和5年11月5日のTV番組「サンデーモーニング(TBS系)」で、イスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への軍事侵攻によって顕在化した人間が持つ差別意識の問題が語られた。

 特集の映像のラストシーンは、ガザ地区の少女が泣きながら「私は、どこで生きればいいの?」という言葉であった。

 その言葉を聴いて、私は、涙があふれる想いだった。

 この言葉は、人類すべての人に向けられた叫びだと思った。

 人間が持つ差別意識の問題に真剣に取り組まなければ、AIの安全保障の問題以上に、人類の破滅をもたらすものだと考える。

 私は、映像の取材で、イスラエルやレバノン、特に、レバノンでは、ヒズボラが支配するパレスチナ難民の地域を取材したことがある。

 よく、ガザ地区は、「天井の無い監獄」と例えられるが、その言葉を聴いて思い出されたのが、まず、レバノンのパレスチナ難民が暮らす街は、路地から空を見上げると、電線が幾重にも這わされた異様な風景であった。また、難民の家に取材に入るには、ビルの壁が壊れていて、むき出しの階段を通らなくてはならなかった、その経験である。

 そして、私が、取材して、パレスチナ難民の置かれた状況で一番ショックだったのは、職業選択の自由が無い以上に、その地域から外に出ることが許されないことによって引き起こされる「近親婚」の問題を知った時であった。

 生まれた時から、その地域から出ることのできない人々は、その地で生まれた人と結婚せざるを得ないのである。

 取材した歯医者の医者がインタビューに応えてくれた。

「子供たちの病気で一番心配なのは、血液の問題です。今、その障害をもった子供たちが増えています。これは、パレスチナ難民をこの世から抹殺するための時間をかけた虐殺です」

 インタビューが終わり、外に出た時、壁一面に描かれた絵があった。それは、虹と共に鳩の空を飛んでいるカラフルな明るい絵だった。

 しかし、その絵に託されたメッセージを訊いて、悲しくなってしまった。

「いつか、自分は鳩になってパレスチナの地に飛んでいきたい」

 サンデーモーニングのコメンテーターである、元AERA編集長の浜田敬子さんは、特集の映像を受けて、まず、「アンコンシャス・バイアス」マネージメントを取り上げていた。

 「アイコンシャス・バイアス」とは、「無意識の偏見」「無意識の思い込み」「無意識に偏ったものの見方」のことである。

 これは、どんな立場の人にも、誰にでもあるものである。その無意識から意識することへと変えていく、つまり、自分には、そうした偏見や思い込み、偏ったものの見方をしてしまうものを持っていることを自覚することが、まず、なにより大事だと語っている。

 そうしないと、為政者ならびにリーダーに、コントロールされる、利用されてしまうというのだ。

 「アイコンシャス・バイアス」マネージメントの本では、組織をむしばむ一人ひとりの「無意識の偏見」として取り上げ、最高のリーダーは自分を信じない。自分の「確信」を疑う。そして、自分にもメンバーにも「アンコンシャス・バイアス」があることを知っている、と語っている。少し、逆説的かもしれないが、人は、常に自分を内省することが大切という意味だと解釈している。

 解決には、無意識が故に難しいこともあるのは理解できる。しかし、その無意識に気付き、その無意識を浄化させる働きかけするのが「宗教」だと信じている。

 問題解決や現世利益だけを説く、そして、「宗教者は祈のることが使命」とのお題目を唱えているだけはなく、真剣に一人ひとりの人間に関わっていくべきだと思っている。それは、信仰を持つ人や無信仰の人も、そして、最も大事なのは、あらゆる組織のリーダーにも、特に、為政者に対しての対応に真剣に取り組むべきだと考えている。

 誰かが世界平和を創ってくれるではない。自分が世界平和を創る一員なのだ。

 その意識に立たなければ、放映された特集の映像のラストシーンでガザ地区の少女が泣きながら叫んだ「私は、どこで生きればいいの?」という言葉を、次は私が、そして、人類全体が叫ぶことになるに違いない。