「松陰が生まれていなかったら、この国はどうなっていたのか?」本の帯に書かれている言葉だ。私は、松陰の「身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」が好きだ。そして、「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」はもっと好きだ。「大和魂」は、戦争の反省から、批判されるキーワードになったが、そもそも、大和魂そのものの教育や正しい文献(知る方法)が希少ななかで、ただ、そういう悪いイメージ情報を信じさせられた風潮が、僕は良くないと思っている。日本人なら、「大和魂」は学ぶべきであると考えている。
「大和魂」か「やまと心」」とかいろいろ解釈があるが、私は、小林秀雄の説明が肌に合う感じがしている。
「源氏物語」の中の「大和魂」の用例は一つしかないが、それは、「乙女の巻」の源氏君の言葉に見られる。「猶(なお)、才(ざえ)を本としてこそ、大和魂の世に用ひられるゝ方も、強う侍らめ」-才(ざえ)は、広く様々な技芸を言うが、ここでは、夕霧を元服させ、大学に入学させる時の話で、才は文才(もんざい)の意、学問の意味だ。学問というものを軽んずる向きが多いが、やはり、学問と言う土台があってこそ、大和魂を世間で強く動かす事もできると、源氏君は言うので、大和魂は、才に対する言葉で、意味合いが才とは異なるものとして使われている。才が、学んで得た智識に関係するに対し、大和魂の方は、これを動かす智識に関係すると言ってよさそうである。
小林秀雄「本居宣長」全景 小林秀雄に学ぶ塾 同人誌 好*信*楽
宣長は、「大和魂」というのは、「皇国の道」「人の道」を体した心を養い、それに則って判断し、行動する心が前であると語っている。どうも、ここに「皇国の道」がでているために、間違った解釈が生まれたとみている。大事なのは「人の道」なのである。日本も、真剣に「大和魂」を学ぶべきだと考えている。私が、少しの時期体験した「和良久」に関係する「ハチキリの会」で、荒魂と和魂などの中心とした「大和魂」の説明を受けたことがある。つまり、天の神と地の神と一体となることが大切であるとの教えだった記憶している。私は、その説明を聞いて、初めて「大和魂」と向き合ったと感じたものである。
過去、東北大震災の時にお世話になった福島県のラジオ局のイベントに参画した頃、私の上司は、山口県萩市の出身だった。イベントで訪れた地は、なんと会津若松市のホールである。上司は、しきりに「萩の人間が、会津の地に来るとは…」と、感慨深げに語っている。当時は、萩市と会津若松市が、およそ150年にわたる不仲説で、萩市長が会津若松市の公式訪問をしようとしたら、会津若松市より断られたという報道があった時代である。明治維新における「戊辰戦争」が、その発端である。「戊辰戦争」といっても分からない人もいるかもしれない。「白虎隊」が、会津若松城から立ち上がる炎をみて、壮絶な自決の話ならどうであろうか。とにかく、明治維新に何があったかも、今の人々の記憶から薄れている状態では、吉田松陰は、日本人にとって、どういう位置づけなのかは分からないのではないだろうか。私にっとては憂いる種のひとつである。
幕末から明治維新の間に何があったのか、日本人は学ぶべきである。日本人は何を守ろうとしたのか。何に憤りをかんじていたのか。島崎藤村の「夜明け前」を読むのも良い。歴史の裏表から見るのであれば井沢元彦の「逆説の日本史」や浅井まかての「恋歌」で水戸藩の天狗党事件から探るのも良い。女性の視点からみた幕末の一端を知ることができる。映画「峠 最後のサムライ」で有名になった司馬遼太郎の名著と言われる「峠」で河合継之助の生きざまを学ぶのも良い。また、日本の近代化のために多くの業績を残した小栗上野介の無念を通して明治維新を斜めにみるのも良い。とにかく、学ぶのだ。それが、本当の「人間の道」を生きていく上での「大和魂」となっていくことを信じている。
明治維新の時代をもっと学びたい。明治維新を学ぶことが、未来の日本を創造する「夜明け前」になると感じている。