江戸とアバター

私たちの内なるダイバーシティ―  池上英子・田中優子

 井上英子さんには、「自閉症という知性」という著書で出会った。

 僕のアバター的な多様性のあり方に、理論的な道筋をつけてくれた恩人である。今は、この井上英子さんと田中優子さんが紡ぎだす世界に酔いしれている。ある呑み会で、共通の知人を持つ女性と、このアバターの世界を、恐る恐る紐解いてみた。自分でも、頭にイメージがあっても、言葉で紡ぎだすと、どんな語りになるかも分からない、初めてのことだった。しかし、これが、受けた。

 分からないが、皆、自分の中にあるもう一人の自分の対応に苦しんではいないだろうかと診ている。いや、興味をもっているというのかもしれない。

 私の、職場の忘年会では、「誰々を、何々に例えると」という遊びをするのが恒例になっている時期があった。例えば、楽器や動物、食べ物や漫画キャラクターに例える。「何々さんは、楽器に例えると、トランペット。キンキンうるさい」という感じである。その時、私は、「次長さんは、物語の登場人物に例えると、怪人二十面相。こういう人だと思った時には、別な人になっている」というのだ。私は、この子は人を見る目があると、満足だったが、皆は、優柔不断や多重人格者の悪いイメージをもったかもしれない。仮面、大いに結構だと思う。自分に内在する多様な自分を認められなくて、自分の外にいる人を認められる訳がないと思うのだ。そんな、スタート地点に立ち戻れる本である。

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