まちづくり幻想

地域再生はなぜこれほど失敗するのか  木下 斉

 先輩が、オン呑みで教えてくれた本である。街づくりや町興しなどを勉強してきた私にとっては、学びとなった本だ。私は、人から薦められたり教えてもらった本は、「今の自分が読むべき本だから、こうして、眼の前に現れたり、聞かされたりするんだ」という、妙な確信があって、知った瞬間に、タブレットでAmazonにアクセスしていた。

 確かに、地方交付税の在り方には、地域創成という観点からは、問題があると思っていた。自民党の票欲しさのいやらしい施策である。地域活性化の名のもとに、予算をばらまくのは、人々の創成能力を踏みつぶしてしまう愚策であるとは思う。しかし、それも必要であるという論があるのも承知している。

 昔、「アジア草の根運動」というグループで、アジアの貧困問題を学び、その支援活動をしていたころの話である。そのグループの顧問的な立場の「○○のおじさま」が、私たちに、こんな話をしてくれた。

 「みんなは、アジアの国々に、せっかく支援しても、政治家などの汚職、つまり、実際の貧困者には届かないので、無駄だと考えたことはないか」という問いかけである。私は、そう思っていた。支援は止めるべきではないが、汚職する政治家や官僚は、辞めさせるべきと考えていた。特に、マルコス大統領時代のフィリピンにボランティアなどで行っていた私には、その想いは強かった。

 ○○おじさまは、言葉を続けた。「確かに、政治家や官僚の汚職は酷い。しかし、その政治家や官僚には、多くの親族や関係者が群がっている。それが何十年もかかって出来上がった人々にお金が流れる仕組みとなっている。それを、どうすれば良いと考える?すぐ、変えられるかな?」

 今、「まちづくり幻想」を読むと、日本は、国家予算という助成金に群がる仕組みが、さまざまな産業基盤や地域再生基盤の仕組みとなっている現実がある。東京オリンピックが止められなっかたのは、一因として利権絡みで身動きが取れなかったのだと考えている。そうした、利権の仕組みをどうするか。

 どの組織も同じだと思う。自分たちの組織が、自分たちで創った仕組みで身動き取れない現実。変えなくてはと、誰もが願っていても、変えられない理不尽さ。動こうとするとぶつかる苦しさ。しかし、それは、誰もが傷つきたくない、損をしたくないと思っているからではないだろうか。「己を後にして、他を先にする」「他のため」という精神を育まない教育の仕組みこそが、根本の問題だと思う。いや、教育というより,家庭の問題だと確信している。

 私は、日本を変えるには、日本が創りあげてきた利権構造(補助金制度)を作り直す必要があると思う。バラマキで、政権を維持しようとする政権があるとしたら、それは、国民一人ひとりの問題である。

 日本は資源も何もない国である。智慧をもった創造力のある人間を資源とする日本にしていかなくては、と考えさせられる本である。

「なんとかなるという幻想は捨てよう」