「ザ・ラストマン」

 本の帯には「続々重版出来」とある。私は、七版の単行本に触れたが、あの日立製作所を、7,000億円の赤字から営業利益・過去最高益にV字回復させた男の著書である。真摯なビジネスマンならば、読みたいと思うのは当然のことだろう。

 「この工場が沈むときが来たら、君たちは先に船を降りろ。それを見届けてから、オレはこの窓を蹴破って飛び降りる。それがラストマンだ」

 これは、著者の川村隆氏が、課長に昇進した際、工場長から贈られた言葉だ。

 「その時から、私の胸に『ザ・ラストマン』という言葉が深く刻まれています」
 
 川村氏は、「社長というものは覚悟さえあれば誰にでもできるものだと思っています。よく『リーダーにはカリスマ性が必要』などと言われますが、そんなことはない」と、ハッキリと述べている。

 そして、江戸時代の禅僧鈴木正三が挙げた「指導者が備えるべき能力」として、何時の時代にも通用する能力を7つ紹介しながら、8つ目には、現代で最も大切な能力を示している。

1. 先見の明がある
2. 時代の流れを的確に読める
3. 人の心をつかむことができる
4. 気遣いができる人徳がある
5. 自己の属している共同体、組織全体について構想を持っている
6. 大所高所から全体を見渡せる力量を持っている
7. 上に立つにふさわしい言葉遣いや態度が保てる

そして、
8. 従来の習慣や柵(しがらみ)にとらわれないで、痛みを伴う厳しい対策をきちんと実行できる、そういうぶれない覚悟を持つ

 「世の中に『絶対につぶれない会社』はありません」

 日立改革の牽引役(ラストマン)を担えたのは、「意思決定したことを、実行できた」という、ごく当たり前の理由からだと言い切る。そして、実現できたのは、とてもシンプルな5つのプロセスだと説明する。

1. 現状を分析する
2. 未来を予想する
3. 戦略を描く
4. 説明責任を果たす
5. 断固、実行する

 しかし、ビジネスの現場では、「簡単そうなこと」が「とても難しい」とも語る。

 「人がもっとも成長するのはどんなときですか」そう尋ねられたら、私は「しんどい思いをしたとき」と答える。そういった「修羅場体験」が何よりも人を成長させるのだと、泥臭いかもしれませんが、私は実感している、と語っている。

 「泥臭い」

 どうも、日本は、そういう物語が好きな風土があるようだ。私も、さまざまな文献や本を読み漁り、多くの経営者や各分野のリーダーの話を聴く機会を通して、その事を実感している。しかし、どうも、スマートに成功することがタブーのような雰囲気に反発を感じる自分がいることも事実なのである。

 「苦労が足りないんだよ」。私は、この言葉を、決して人には言わないつもりだ。

 苦労が足りないのではなく、感謝が足りないのでは、と思うことにしている。成功した経営者として、その賞賛を浴びる稲盛和夫氏の次の言葉が、私のひとつの指針になっている。

 災難や苦難に遭ったら、嘆かず、腐らず、恨まず、愚痴をこぼさず、ひたすら前向きに明るく努力を続けていく。これから将来、よいことが起きるために、また、自分と言う人間をさらに磨き成長させてくれるために、この苦難があるのだと耐え、与えられた苦難に感謝すること。

 よいことが起きれば、驕らず、偉ぶらず、謙虚さを失わず、自分がこんな良い機会に恵まれていいのだろうか、自分にはもったいないことだと感謝する。

 こんな素晴らしい人生を生きるための絶対の条件です。

稲盛和夫

 「感謝」。このワードが、スマートな成功の要因であり、全てに生きる基本になると良い、と私は真剣に思っている。では、その全てを「感謝」として受け取れる自分には、どうしたらなれるのか。先哲は、その答えを、私たちに伝えてくれている。

 一つは明明徳(めいめいとく)-明徳を明らかにする。人は誰でもお日さまとお月さまをあわせたような徳を持っている。この徳を発揮するのが明明徳である。徳を発揮するとはどういうことか。自分を創ることである。自分の花を咲かせること、と言ってもよい。

 二つは親民 ー民に親しむ。親しむとは、相手と一体になることである。自分の花を咲かせるだけではない。相手と一体にることで相手の中に眠っている徳を目覚めさせ、相手の花を咲かせるようにお手伝いをすることである。

 三つは止至善 ー至善に止まる。至善とは、最高の善。即ち、理想のこと。止まるはストップではない。文字学的に言うと、「止」は足跡の形で、これを二つ重ねると「歩」になる。つまり止至善とは「理想に向かって歩み続ける」ことである。

 

「大学」三綱領 「致知」202310号 

 自分が学んだ経験知を人に伝えることは、全てに「感謝」のできる人間になる意味では、大事なポイントだと思う。仏教では、幸せになるための要因として、「自利利他」を挙げている。そして、最大の「利他」とは、人のために「法」を説くことであると説く。ここでいう「法」とは、お釈迦様が説かれた「法」のみではなく、自分の経験知も含まれるのだ。

 例えは幼稚だが、「あの店のラーメンは美味しいよ」でも良いのだと思っている。それが、社会課題を解決することや、人々を幸せにするための経験知でも良い。私たちは、どれだけ多くの人々の経験知の分かち合いによって今を生きているか。それを考えると、次世代の人々にために、今の時代を生きる私たちの経験知を、どんな小さなことでも、誰にでも、自分の言葉で伝えることの尊さを強く感じている。身近で言えば、「おばあちゃんの知恵」なのである。

 その一人ひとりの経験知は、過去から未来に向かっても、その人しか掴むことのできない「智慧」である。「知の宝」だ。その宝は、誰でもが持っている。それを、まず、身近な人に伝えていこう。その行為は、絶対、自分が生きた証となるはずだ。

「リーダーとは、”慎重なる楽観主義者”」が川村氏の持論だ。すなわち、川村氏が掴んだ経験知である。

「楽観主義といっても、ただ能天気なだけの楽観主義ではいけません。現状を分析し、将来起るかもしれない危機を見越して、慎重に考え、意志を持って希望を提示する楽観主義でなければならないと思っています」

 経営者の在り方については、よくある譬え話を例にして、答えを出している。

 「コップに半分の水が入っているのを見て、『半分しかない』ととらえるか、『半分もある』ととらえるか、という話があります。半分しかないと思う人は、ネガティブで、半分もあると考える人はポジティブであると言われています。
 ラストマンはそのどちらでもなく、『水が半分もはいっているけど、コップいっぱいになればもっといい』と考える人でしょう。
 そしてコップをいっぱいにするにはどうすればいいかを考え、みんなを引っ張っていくのです」

 では、どうすればそういう意識を持った経営者になれるか。

その答えは、この本を手にして見つけていただきたい。「経験知の分かち合いに溢れている」、そこに、「重版出来」の秘密があると私は判断するのだ。