彼には、フィリピンの「サンミゲールビール」が良く似合う。それは缶ではなく瓶のサンミゲールだ。
猪俣さんのフィリピンでの活躍は、私が、「アジア草の根協力会」(アジアから学ぶボランティア団体)の関係で、また、映像取材の関係で、何度も、フィリピンの現地に足を運んだ時には聞いていた。
国連も問題視する途上国の「水」問題の解決は「井戸」の建設に託されている。。日本の伝統の井戸掘り技術「上総掘り」は、機械を使わないので途上国向き。アジアで、アフリカで、上総掘りで掘った井戸が現地の人たちの生活や社会を変えようとしています。
Webより
彼は、その井戸掘りの技術で、フィリピンに飛び出したのだ。それからも彼は、フィリピンとの「縁」を大切にし守っている。それが、今、彼が取り組んでいる、「日本人の忘れもの」である。
猪俣さんは、第2次世界大戦で残された「社会課題」解決に、今も、全力で取り組んでいる。その解決の道のりは、本当に厳しいということと、誰かが取り組まなければならない道であることを、「映画」を見て思った。「何故、国は動かない」との憤りも感じた。フィリピンに残された日系人の「いのち」は、もう少しの時間で、消え去ろうとしている現実がある。
「日本人でありながら、日本の国籍が取得できない、この息苦しさ」
猪俣さんは、その息苦しさのなかでも、前へ前へと、その歩みを止めない。いや、さらにフィリピンの貧困問題に取り組むためのプロジェクトを立ち上げている。電気の通っていない島の村に、ペットボトルを利用した「光」を届けようとしているのだ。
猪俣さんに、起業を目指す青年への講演をお願いした。自分が凄いことをやっているという気負いは,まったく無い。また、苦労した分の愚痴もない。こうした猪俣さんの話と人柄に、参加した青年は、どう感じたろうか。私は、「艱難汝を玉にす(苦難や苦労を乗り越えることで、人は立派に成長する)」。そんなことを、猪俣さんの日焼けした顔が物語っていると感じている。