「志村晃代さん」

 志村晃代さんとは、カウンセリング基礎講座の学びの場で出会った。「出会いは、その人の人生を変える」という格言があるが、今、彼女との思い出を振り返ると、その言葉の重みをズシリと感じている。

 私は、彼女のことをあまり詳しく知らないうちに、彼女の言葉のハシハシを捉えて、勝手に「じゃ、これできる?」と問いかけていた。そこには、彼女の「イエス」の答えを待っている自分がいたのである。彼女は、そんな気持ちにさせる不思議な笑顔を持っている人なのだ。

 彼女は、現在、東京・立川市に事務所を構える「NPO法人育て上げネット」で、ケースマネジャーを任されている。「育て上げネット」は、「若者の『働く』と『働き続ける』を応援します」をテーマに掲げ、その事業として、「つまずいた若者とその家族を支援し、同時に企業や行政と協働しながら、社会全体で若者を支援する土壌づくるをする」ために、さまざまな教育事業に取り組んでいるのだ。彼女は、その中で、ひとり一人の相談役のケーススタディのまとめ役をしている。はじめは、彼女の「イエス」と応える懐の深さは、ここから来ている気がしていた。多くの人の相談を受けるとは、そういう人格を育むとの考えがあったからだ。が、話を聞けば聞くほど、その奥には、もっともっと深い人生の物語があることに気が付かされた。不思議な笑顔のヒントを学んだ気がしてならなかったのである。

 人間には、生き方の目標とする人がいることは幸せなことだと思っている。彼女も、その幸せを身に纏っている一人だ。彼女の目標とする人は、祖父母である。おばあちゃんは、保護司の役をしており、よく、刑務所の出所者から手紙が来たそうだ。おじいさんも、地域のために頑張っていた。「人に関わる人生は良いな」と思わせる祖父母の姿を通して、「人に関わりお役に立てる生き方」をしたいと思ったそうである。やはり、身近な人の存在は、人の人生に大きな影響を及ぼすことを教えてくれている。

 そうした彼女の生き方の目標は、自身がおばあちゃんになった時、孫に、「人生面白かった」と自慢できることだそうである。

 彼女に、大きな転機となる出来ごとがあった。高校2年生の時の親友が、躁うつ病で苦しみ、心臓発作の急病で亡くなったのである。その話を、朝聞いた時、「私は、何をしてあげてたんだろうか」という自責の念と、「後悔しない人生を送りたい」という願いが沸き起こったという。それが、今の支援活動に繋がっていると彼女は、淡々と話してくれた。

 彼女のそれからの人生の物語にも、私は、驚かされる。学生は卒業したが一時期無職となった。その彼女は、法務教官刑務所の刑務官の採用試験に挑むのであったが、刑務官の補欠合格通知が来たのは、卒業後、三か月を過ぎた時のことである。彼女の父は、裁判所に努めており、「人は、何故、罪を起こすのか」。そうした犯罪心理学に自身の心を動かされいたそうである。人の心の仕組みに関心を持ち心理学を学んだ。最初は、「私がなんとか、再犯を起こさせないようにする」と思っていたという。しかし、刑務官になって監視する立場になり、年上の人に対して命令したり、悪いことをした人を通報しなくてはならない自分に辛くなっていく感覚を知る。また、再犯して戻って来る人を見るにつけ「どうしたら良いのか」やはり「社会の仕組みを変えなくてはいけないのか」と悩む自身を知り、その問いに答えを見つけられるような頼れる人が周りにいないことに気が付いて、10か月で刑務官の職を離れることになる。

 その後も選んだ職も凄い。彼女は、ある霊園の納骨堂を住み込みで始めるが、3か月で首になってしまう。理由は、「仕事ができない。社会参加ができない」というレッテルを貼られたからであり、卑屈感や疎外感を味わったことが辞めるきっかけになったと彼女は語る。しかし、そこで彼女は、「仕事ができない。社会参加ができない」という人の気持ちが分かる自分になっていたことに気が付くのである。その気持ちが、現在の「育て上げネット」での働きへと導いていくのだ。だから、面白い。人生の経験を愚痴や恨みにするか、それとも宝としていくかが、人生の物語の大きな転換期である。物語は、自分で描いていくのである。

 その後、彼女の説明では、「一旦、いのちの危険から離れて」と話しているが、情報発信のスキルを身に付けたいとの願いから、およそ5年間、Web製作会社で働く物語を紡いでいく。ここで彼女は、「人に相談されるようになるために、人の悩みをちゃんと聴ける人間なりたい」との思いから、カンセリングの学びに飛び込むのである。そこには、自分の仕事に自信を持つことによって、「人に頼られる自分になりたい」という、心のアップグレードを図る願いがあったのである。

 彼女は、今、人生の物語の、どの章に巡りついているのか。自分の過去をどう考えるか。「失敗は学び。だから、次は何をするか」、そういう生き方しかできない自分を知ったという。「自分で、自分の過去を正解にしていく」。これが、今、彼女が巡りついた章のタイトルである。自分自身の人生の正解を求める人が多いなかで、彼女の答えは明快である。

 彼女は、もう、次の人生の物語を描きながら歩んでいる。ネットで、「育て上げネット」を知り、「自分の求めていたのはこれだ」という確信を持ち、面接を受ける。その際、彼女は、自分の過去を全て話す。そして、受入られる。

 身に付けていたパソコンのスキルを活かし、働いたことが無い人に対するパソコン就労支援を担当している。その支援プログラムは、会社や個人の寄付、そして、自治体の寄付で運営されている。現在、その寄付をしてくださる協力者に、青年に寄付することの大切さを、「青年に投資する」という言葉に変えてメッセージを発信しているのだ。それは、「若い人が働かないことへの理解が少ない」からだという。彼女の友達も「何故、そんな人のために税金が使われなくちゃいけないの」とも言われてしまうのが現実なのだ。

 「皆で支えられる社会へ」

 1人の若い人の生きる力の持つ社会への影響を信じている彼女は、「そこに人がいるんだ」というメッセージを発信しつづけることに、今、全力を注いでいる。

 彼女の物語のタイトル「人生面白かった」の章が、時と経験とともに刻まれていく。次の登場人物は誰か。そして、どんな展開が待ち受けていくのか。結末を楽しみにしている自分がいた。

最後に大事なことを付け加えるが、このbiotopeoneサイトも志村さんのお力をお借りして製作した。そして、もうひとつ。彼女は、ロックンローラーなのである。十分「面白い人生」だと思う。

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