菅野一代さんの笑顔が素晴らしかった。笑っても泣いても、その表情に、私は虜にされた。そして、そのシーンを収めたカメラマンや製作スタッフにも感動したのだ。
映画「ただいま、つなかん」
2011年3月11日、東北大震災の被害を受けた町で、復興支援のボランティアを受け入れた夫婦と、そのボランティアの人々の物語を10年以上にわたって紡いできた姿を描いた作品である。そのボランティアたちが、その受け入れ夫婦の宿に帰ってくるときの挨拶の言葉が「ただいま、つなかん」である。この「つなかん」名前の由来は、宮城県気仙沼市唐桑半島鮪立の地名と夫婦の苗字の菅野のが合体した愛称だ。鮪立は、鮪(まぐろ)漁で生業を立てていた地域で、その鮪(しび移行料まぐろ=つな)と菅野の(かん)で「つなかん」となっている。こう呼ばれることに、夫婦とボランティア、そして、津波被害で被害を受けた自宅を民宿に改築し、長きにわたりボランティアを受け入れた「つなかん」の絆の強さを感じている。
その映画上映とトークならびにサウンドトラック演奏会に、仙台日本駆け込み寺の責任者の織笠英二さんのご案内で参加した。上映会実行委員会の責任者である織笠さんの行動力とネットワーク力に、まず、感服した。午後・夜2回の講演会は満席状態。後援には、織笠さんが勤める復興庁宮城県復興局、宮城県、仙台市、気仙沼市、気仙沼市観光協会、仙台国際空港、エイベックスエアライン、日本ボラセン財団が名を連ねていた。さすが、織笠さんの今でも被災地の復興に携わっている人徳だと思った。織笠さんのFB投稿で知ったが、視覚障碍者にも観ていただいきたいと、急遽、字幕スーパーの編集も行ったそうだ。当日のトークショウでは、ボランティアで手話通訳を行われた。
良かった。
作品の内容もちろん素晴らしかったが、映像製作をしてきた私は、その作品のカメラマンの能力にも虜になっていた。私が目指してきたカメラワークがスクリーン上にあったのだ。
被写体が良ければ、物語があれば、人に感動を与えられる作品が出来る訳では無いと思う。
時間の経過と共に進んでいくシーンや言葉のなかから、どこでRECのスイッチを押すか切るかの決断をするか。どうカメラを動かすか。作品製作では、演出家の力量もあるが、ドキュメンタリーでは、カメラマンの力量が大きいと感じるのだ。
そんなことを考えながら観ていたが、ふと、この作品の主役は、一代さんとボランティアの若者たち、すべての登場人物、そして、すべての出来事だと思った。誰一人、何一つ、感動の物語を描いていくうえで、必要で無いものは何もなかったと思えた。例え、どんなに辛いことても…。
その問いに、丁寧に応えた監督の編集力にジーンときた。いくらカメラマンが良い映像を撮っても、編集てカットされたら、それで終わりだからだ。
ある意味この作品は、製作スタッフの何も撮るべきかの意識の一体感があったからこそ、登場人物の一体感を描ききれたのだと思う。すべてを主人公にするという願いからあったのだと思う。人と人とのつながりは、すべての人が主人公で、その出会いの物語は、すべてがメインストリーなんだと思わせてくれた。
「ただいま、つなかん」
是非、観て欲しい映像作品だ。
こうした内容をFBに投稿したら、織笠さんから返信がきた。「映画監督でカメラマンの風間研一さんに報告しておきます」。なんと、僕は監督とカメラマンが別な人だと思っていたが、風間監督自身がカメラを回していたのだと知って、納得してしまった。私の経験知だが、監督をしていながらカメラマンの動きに不満を持つことが多々あった。「そこを撮らないの?」とか。だから、自分は、演出とカメラを自分でするスタイルをとる場合があったのだ。
当日のトークショウでは、菅野一代さんが風間監督のことを、「まるで空気のように、いつも居た」と語っている。こうした長期にわたる監督の張り付きが、この作品の素晴らしさを創り出したの思う。その物語は、今も続いている。
演出魂が、むくっと立ち上がった帰り道だった。