「石巻の空」

 石巻市は、私にとっては第3の故郷と言える。最終的には、今の大垣市で故郷は5つまで数えることになる。が、死ぬまでには、あとひとつ増えそうな気もしている。

 父の仕事の関係で、よく仙台市から石巻までJR仙石線の電車に乗ったものだ。当時は、1時間30分位かかったかと思う。その時間が長く感じられて、仙台駅から石巻駅までの駅名を覚えることにチャレンジしたことを思い出す。今は、ほとんど駅名を忘れてしまっているが、塩釜駅や航空自衛隊松島基地がある矢野駅などは、どういうわけか記憶に残っている。父に自慢したくて、覚えた駅名を暗唱した記憶は、良き想い出である。

 今年1月、その石巻駅と女川との間にある「仙台駆け込み寺石巻ハウス」を訪ねた。

 この「駆け込み寺石巻ハウス」は、玄秀盛さんを創設者とする「日本駆け込み寺」の活動に賛同した人々が、その志をもって開設した処だ。もちろん、その開所の原動力となったのは、玄秀盛さんに惚れ込み、「仙台駆け込み寺」を立ち上げた仙台在住の織笠英二さんの熱意なのである。

織笠英二さん

 その織笠さんに案内していただいての訪問となった、このハウスの活動の特徴は、まず、「子供食堂」と連動していることだ。そして、東北大震災後に設立された100を超える石巻市のNGO・NPO団体との連携である。

 「子供食堂」は、現在、月2回のペースで行われている。石巻は、ある意味田舎なので、子供が食事には困らないだろうと思っていたが、1回に20名ほどは来るとのこと。それ以上は、ハウスに入りきれないので人数を制限しているという。その食事の食材を提供する人、その食材を料理する人、それ管理をする人、運営する人、広報する人などのスタッフなどは、全てボランティアであるという。

 「人は、人と交わって成長する」という格言があるが、ここには、「人のために」という「志」の奥に、「人と交わりたい」という人間本来の願いの匂いがあると感じられる。子供達も、食事をするためだけではなく、「人と交われる」という匂いに引きつけられてくるのだと思わせる雰囲気が、誰も居ない部屋に充満している感じがした。

 その活動を支えているのが、地元の方々である。ボランティア団体をはじめ、活動の主旨に心意気を感じて、賃貸の場所を探してくれた人、「あなた達にしか貸さない」と快く割安で建物を貸してくれた人、そして、活動に賛同してくれている織笠さんと私の共通の知人が、建物の眼の前にアパートに住んでいるという偶然。日々の管理は、この知人が自主的に行ってくれているのだ。「田舎での活動の広報はどうしているの?」との私の質問に対して、織笠さんは新聞を見せてくれた。なんと、地元の新聞社が、地域のNGO・NPOの広報新聞発刊を担ってくれているのである。その広告欄でのお知らせが、徐々に地域に広がっている要因だという。

 「積善の家に余慶あり」という「易経」の言葉が、私の頭の中で沸き起こってきた。「善行を多く積み重ねた家には、その報いとして必ず子孫までよいことが起り幸福になる」というとを表しているのだが、子孫でなくても、「その善いことを自分もやろうと」とすると、その幸福は、人と共にもたらされるということを強く感じた。

 見学中、織笠さんの携帯電話での話し声が聞こえる。どうもzoomのやり方の問い合わせらしい。訊いてみると、「今度、岩沼(仙台市から南の方面の市)でも「駆け込み寺ハウス」を立ち上げたいという人が出てきており、翌日、初のzoomでの悩み相談予約があり、その操作方法等の問い合わせだ」と説明してくれた。

 どうも「積善」は、ころがるように広がるらしい。それがまた、「余慶」を生み出すらしい。まず一人から「善いことを積み重ね」それが「余慶」として広がっていくことが大切であることを、今年の初めに見聞きができたこと、これが私の「余慶」なのだと思った。「余慶」いくらでも身の回りにある。