「古事記を読む」

 令和5年を迎えた。九星気学十干、そして占星術からみると、私の令和5年は、素晴らしい年になるという。もちろん、自分次第であることは分かっている。だけど、運気の巡りは信じているので、その流れに身を任せたい気持ちにはなる。「時の流れに身をまかせ」という、私の大好きなテレサ・テンの歌もあるが、その歌詞のなかで「あなたの色にそめられ」とある。「身をまかせる」とは、どんな結果になろうとも、信じて、恨みや愚痴は言わないことだと思っている。そんな私の新年を迎えての「現在地。私。」をUPしたい。1月1日にFBでUPした投稿である。

新年、あけましておめでとうございます。少し長いです。

1月1日、月刊誌「致知」のメールで、「致知」みくじを開いてみました。

「答えのない状況に耐える力は重要。
 懸垂の途中で止まっているような、
 何かの状態を保持している時が、精神の粘りどころ」
      明治大学文学部教授 齋藤 孝

なるほどね。この「みくじ」の言葉に、今までの自分を認められた、と思いました。うれしかったです。

 私は、1月1日には、「祈りはじめ」「呑みはじめ」そして「読みはじめ」を大事にしてきました。昔の「読みはじめ」は「詠みはじめ」で、短歌を一首、詠んだのですが、今は、本の読みはじめとなっています。

「読みはじめ」に選んだ本は、三浦佑之 訳・注釈の「口語訳 古事記」です。古事記は、一通り読んでいますが、三浦佑之さんの古事記を読んでみようと思ったのは、「浦島太郎の文学史」を読み、そして、駒沢大学での講演での、お話を聞いたからです。
「面白い」。同じものでも解釈する人の見解によって、こんなに奥深くなるものか、と思わせるほどの話術と引用が巧みな人だと思ったからです。
 
 そして、もうひとつ「古事記」を選んだ理由があります。それは、神代篇に語られているイザナギとイザナミの国土創成の物語です。

 二人が、天の浮橋にお立ちになり、アメノヌボコ(高天の原にある立派な矛)で、流れ漂う海と泥との混じる塩を、コロコロと搔き回し掻き鳴らして引き上げ、その矛の先からしたたり落ちた塩が、日本の国土(島)を創った。

 私は、この物語の表現(演出)は、何を、私たちに伝えているのだろうと、最初に古事記を眼にした時から、気になっていました。もしかしたら、「古事記」の世界観には、今の私たちに伝えたい啓示があるように思えて仕方がなかったのです。

 ひとつ言えば、「世界は、カオス(混沌)を掻き混ぜるところから、新しい世界が創造される」としたら、現代のカオス状態、例えば、民主主義と専制主義の二項対立的な状態から、どちらかを選択する、という判断を私たちは今迫られています。が、もしかしたら、民主主義と専制主義を掻き混ぜて、新しい主義を創ることが解決する唯一の方法であることを教えてくれているように思うのです。

「問題の解決方法は、創造することである」との現代の格言に通じると思うのです。

 松岡正剛が「法然の編集力」で語っているように、「選択とは、どちらかを捨てるのではなく、その中から必要なものを抽出すること(要約)」だと考えているのです。

 同じ生きるなら、捨てる選択ではなく、互いから選び出して、新しい概念・構造を創る生き方を選びたいと思うのです。
 私が掲げる「二つで一つ、二つで三つ」の理念です。新しい時代が求められている今こそ、「智慧と慈悲の結集・編集・発信」が大事だと考えています。そのためには、新しいネットワークの創造が、喫緊の課題と思うのです。

 今年一年、じっくりと「古事記」が伝えるメッセージを読み解いていき、そのメッセージを皆さんに伝えていくことを、私の願いとしていきたいと考えております。そして、新しいネットワーク、繋がりを結んでいくために動き出します。

 年頭にあたり、皆さんのご多幸を祈念するとともに、皆さんのお役に立てる生き方をしていくことを、お誓いしたいと思います。

「答えのない状況に耐える力は重要。
 懸垂の途中で止まっているような、何かの状態を保持している
 時が、精神の粘りどころ」

 ありがとうございます。