東京に仕事で行った日に、少し、時間があったので、宿泊ホテル近くに足をぶらつかせた。久々の浅草。コロナ禍あけの連休後の日であったが、結構、人で溢れていた。ホッピー通りは、相変わらずで、泡で溢れている。
人間には、どうも、人混みと泡混みが必要なようだ。他に、人が集まる要件はないのかなぁ、考えて歩いていると、目の前に浅草フランス座演芸場東洋館が立ち現れた。なるほど、私は、「知」が必要だと思った。大学時代に脚本の勉強をしていた自分にとって、演芸場は「知の宝庫」だったのだ。だって、どんな芸にだって「筋道」がるのだから。考えて人を笑わせるということは、大変なことだと思っている。ストリップの振り付けにだって、たっぷりとストーリーがあると、真剣な眼差しで観ていた蹉跌の時代があったのだ。
「知が泡立ち、混み合い、そして、溢れる」。これって?。もっと良い、言葉のひねりはないかな~、と想いながら、頭のなかは、すぐに、夜、呑む酒を何にするかの問いに切り替わっていた。